夏といえば、「夏フェス」野外の音楽イベントが全国各地で数多く開催されている。オートバイ業界でそれに位置する大型イベントと言えば「鈴鹿8時間耐久ロードレース」略して「8耐」だ。
FIA世界耐久選手権の第3戦。「8耐」は「世界選手権」なのである。
そんな8耐に熊本からエントリーしたチームの一つが「KUMAMOTO SMART DRIVER RACING TEAM」(以後スマドラRT)だ。
スマドラRTは完全なプラベートチームでメーカーからのサポートはない。ライダー3人は、プロのライダーではないし、メカニックもサポートするスタッフも皆、レースとは関係のない仕事を普段はしている。
メンバーがあつまった理由は「心粋」だけなのである。
ライダーの一人、福島智和さんが発起人。福島さんは、「いつかは8耐」が夢だった。九州選手権のシリーズチャンピオン争いも加わわる程のスキルを得て、夢 の8耐に初挑戦。くまモンをカウルにカラーリングを施し参戦、レース序盤に転倒するも結果は42位完走。2年前2012年のことだった。
あの時のクルーに再招集がかけられ、まさかまさかの再チャレンジとなった今回は、前回もタッグを組んだ、ライダーの堀さんに加え、脇阪さんが参加。福島さんの古くからのレース仲間でこの人も「いつかは8耐」という夢を持っていた。
迎えた、7月27日決勝。(スマドラRTに多くのサポートをしてくれているラ・ベレッツァSPEEDは金曜日のフリー走行で他車の転倒に巻き込まれ転倒、 高杉選手が骨折入院、マシンのダメージも深刻で、決勝をキャンセルしていた。スマドラRTにも、本当はいろいろドラマが起きていたのだが、割愛。)
ピットロードは強い風が吹いていた。早い段階での雨をどのチームも予想していた。そしてその予想は、早い段階で現実となった。
サイティングラップを終え、グリッドにマシンを置く頃、大粒の雨が落ちて来た。みるみるコースはウェットに。ピットロードにも川が流れる程の、強い雨だ。長い8耐の歴史初のスタートディレイ。
レースが始まってしまうと、それまでにトラブルが出尽くしたのかスマドラRTは順調に周回数を重ねて行く。途中、脇阪選手が走行中に再び豪雨となり、準備ができるまでの数周スリックのまま、走らされるシーンがあったが、落ち着いて、周回を重ね無事戻ってきた。
雨や転倒車の影響で幾度となくセイフティーカーが入るシーンがみられた今年の8耐。(合計4回は過去最多)
サインボードエリアで、タイム計測をしていた筆者がピットに呼ばれた。「福島くんを、メディカルに連れて行っていいか?」全く予想していなかった。聞けば、ドリンクが機能しておらず、(ライダーは走行中の水分補給用に背中にドリンクを背負っている。)全然飲めずに走行を終えて、倒れたそうだ。もう福島さんを乗せるワケにはいかない。堀さんと脇阪さんで乗り切ろう。
ライダーの走行順と、どれだけ走らせるか、限られたNEWタイヤをどう使うか?予定を組み直し、2人でゴールを走りきってもらうことになった。
夕方を過ぎると、「ライトオン」の表示が出されるの通例だが、今年は、雨が強く降った際に「ライトオン」表示が出されていたので、点けっぱなしのマシンも 多かった。実は、スマドラRT、金曜日のナイトセッションの際、シートカウルのゼッケンとテールランプが、点かないトラブルがあった。しかし、決勝では しっかりと点いている。今回のチームは本番に強い?
グランドスタンドのペンライトが目立つようになる。午後7時30分がゴールの時刻。8時間から短縮され、6時間55分を走りきれるか?最後もうひとがんば り。前回は周回数が足りるかヒヤヒヤで何度も何度も計算をしながらゴールを迎えたが、(トップの周回数の75%をみたしていること今年は、トラブルでピッ トストップするシーンもなく淡々と、周回を重ねていたので、ドキドキ感はなかった。
そのころには、メディカルから福島さんもピットに戻ってきた。
スマドラRTは完走した。
残念ながら決勝の出走がかなわなかったラ・ベレッツァのクルーも、一緒になって#096を迎えてくれた。
鈴鹿の夏が、終わった。
んだが、その後、その日のうちに、スマドラRTのクルーのうち5人が、荷物満載のハイエース2台を運転して一路熊本へ帰った。8耐がおわって数時間後には、鈴鹿〜熊本10時間耐久を開始したのだ。
そのゴールには拍手と賞賛で迎える人々が、とくにはいなかった…
もちろん、道中終始「スマートドライブ」だったことは言うまでもない。